今朝、朝活で出会った若人に伝えた言葉を
深堀りして、考えてみたくなったので記してみる。
黙って作業に没頭しようと思っていたけれど、
ついつい口を出しちゃう、おっさんですまんね( ^ω^)
さて、長くなってしまったので、時間のある人だけ読んでね。
おっさんの戯言さ。
「自分を貫くこと」について
君は色々深く考える方だから、
深く考えない友人・知人たちと相容れなくて、
一緒にいて、面白くないと感じているだろう。
“それは価値観の違いだ”
と言い切ってしまうのは簡単だ。
しかし、その人たちとは今後も
付き合っていかなければいけない。
それもまた事実だろう。
だから、僕からはこんな言葉を贈ろう。
「君はどこに行きたいのか?」
今いる、そのコミュニティでは、
君はリーダーという役割を与えられているね。
でも、君は周りにいるその人たちと仲良くしたくない。
自分だけが気持ち良く過ごせればいいと、
そう思っている。
でも、このまま孤立してしまうのも
どうなんだろう?と思っているし、
「お前、考えすぎじゃね!」
ということも言われる。
ここで、一つ質問だ。
その、”考えすぎ”というのは、
誰が決めていることだろうか?
ということ。
“考えすぎ”というのは、
どのくらい考えたことを言うのか?
どれくらいの水準だ?
常識では?
誰が決めた?
他人に左右されるものだろうか?
アインシュタインもこう言っている。
「常識とは成人になるまでに集めた
偏見のコレクションである」
と。
なので、僕からオススメするのは、
「自分で選択してみては、いかがでしょうか?」
ということだ。
ここで、気をつけて欲しいことがある。
これは仕事でも必ず役に立つだろうから、
覚えておいて欲しい。覚えておくといい。
「自分は、なぜその選択をしたのだろうか?」
と、自分に問いかけることだ。
でも、これから社会に出て、就職するだろう君は、
付き合いたくない人と接しなければならない、
やりたくない仕事を与えられてしまう
など、様々な事が待ち受けているかもしれない。
今のリーダーの役割もそうかもしれない。
じゃあ、そんな時にはどうしたらいいか?
僕から勧めるのは、これから言う2つのことだ。
-
1つ、
得たい結果、目指す目標を明確にすること。
2つ、
その結果を得るために、“役割を演じる”ことだ。
得たい結果、目指す目標が絶対なのであれば、
そこに、好き嫌いのような感情が入り込む隙は無い。
そんなものは邪魔になるだけだ。
黙々と、淡々と、一歩一歩、
目標に向かって行動し、突き進むだけだ。
自分が好きか嫌いかは関係ない。
その結果に必要な役割を演じることが、
必要になる時が来る時だってある。
長くなってしまったけど、
今日言いたいことは、だいたいそんなところ。
もし、わからなくなったら、
また会いに来てくれたらいい。
そうしたら、僕はこう、
優しく問いかけるだろう。
「自分がどういう行動を”選択”したら、
その状況はもっと良くなるかな?」
人から聞いた答えは、その人の価値観での”答え”だ。
あなたを良い方向に導こうと思っているかもしれない。
逆に、あなたをコントロールしようとしているかもしれない。
他にも、こうすべき、そうすべき、
という一般論の答えなら、いくらでも出せる。
でも、あなたの答えは、あなたしか出せないから。
答えは自分の中にあるよ。
人の言うことは気にするな。
「こうすれば、ああ言われるだろう・・・」
こんなくだらない感情のせいで、
どれだけの人はやりたいことも
できずに死んでいくのだろうー ジョン・レノン